Guvalif
函手 F, G: C ↝ D に対して、自然変換 F ⇒ G は、任意の f: a → b in C に函手をそれぞれ適用し、
Ff: Fa → Fb in D および Gf: Ga → Gb in D に可換図式 θb . Ff = Gf . θa を満たす射の族 θ_ を考えることで与えられますよね
これを直観的に解釈したいと考えたときに:
1. 自然変換によって、函手によって D に移された対象の対応関係を知ることができる
2. 自然変換によって、函手によって D に移された射の対応関係を知ることができる
という捉え方ができないかを考察しています (その方が函手と函手の対応っぽく見えるので)
1. に関しては自明で、そもそも任意の C の対象 a に対して θa: Fa → Ga が言えるわけですから、
これは自然変換と任意の Fa から、Ga を知ることができると言ってよいでしょう
対して、2. に関しては θ_ が常に同型射となる制約 (自然同型) であれば、
逆射であることを ' をつけて表せば、Gf = θb . Ff . θa' が言えるので、
自然変換と Ff から、Gf を知ることができると言って良いでしょうが、実際はそこまで強い制約は課さないわけですよね
少なくとも可換図式 θb . Ff = Gf . θa が言える以上、Fa を固定して、Fa および θa から Ga (すなわち dom(Gf)) に、
Fa,Ff および θb から Gb (すなわち cod(Gf)) に辿るつけることは言えて、任意の2対象から適当に射を取り出すようなこと考えれば、
Gf とドメイン・コドメインを共通にする Gf† なる射の存在は言えそうなのかなと
(もちろん、一般に任意の2対象の間に射が存在するとは限りませんが、今回は少なくとも Gf が存在しているので、Hom(Ga, Gb) ≠ Φ)
あとは Gf と Gf† は等しいとは言えないまでも、同型であることを言えれば、
「自然変換と任意の Ff から、Gf を知ることができる」という直観的な主張をできると思うのですが、はたしてと… :thinking_face:
Ff: Fa → Fb in D および Gf: Ga → Gb in D に可換図式 θb . Ff = Gf . θa を満たす射の族 θ_ を考えることで与えられますよね
これを直観的に解釈したいと考えたときに:
1. 自然変換によって、函手によって D に移された対象の対応関係を知ることができる
2. 自然変換によって、函手によって D に移された射の対応関係を知ることができる
という捉え方ができないかを考察しています (その方が函手と函手の対応っぽく見えるので)
1. に関しては自明で、そもそも任意の C の対象 a に対して θa: Fa → Ga が言えるわけですから、
これは自然変換と任意の Fa から、Ga を知ることができると言ってよいでしょう
対して、2. に関しては θ_ が常に同型射となる制約 (自然同型) であれば、
逆射であることを ' をつけて表せば、Gf = θb . Ff . θa' が言えるので、
自然変換と Ff から、Gf を知ることができると言って良いでしょうが、実際はそこまで強い制約は課さないわけですよね
少なくとも可換図式 θb . Ff = Gf . θa が言える以上、Fa を固定して、Fa および θa から Ga (すなわち dom(Gf)) に、
Fa,Ff および θb から Gb (すなわち cod(Gf)) に辿るつけることは言えて、任意の2対象から適当に射を取り出すようなこと考えれば、
Gf とドメイン・コドメインを共通にする Gf† なる射の存在は言えそうなのかなと
(もちろん、一般に任意の2対象の間に射が存在するとは限りませんが、今回は少なくとも Gf が存在しているので、Hom(Ga, Gb) ≠ Φ)
あとは Gf と Gf† は等しいとは言えないまでも、同型であることを言えれば、
「自然変換と任意の Ff から、Gf を知ることができる」という直観的な主張をできると思うのですが、はたしてと… :thinking_face: